はじめに

歴史に残る実践記録を紹介します

1 Aちゃんのことから    (中山 ゆたか)
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# by kokuminkyouiku | 2016-09-01 12:32

Aちゃんのことから

Aちゃんのことから
○Aちゃん

 あえて、Aちゃんという。感情を込めて・・。差別のことです。
教師が学級を担任すると、だれしもがぶちあたるいくつかのことがらの一つです。でも、このことを正しく解決しないままおくことは、より大きな誤ちをおかし、学校が面白くなくなり、人が人としての温かい血のかよいをなくしてしまい、ひいては民主的民族的課題に力をあわせて立ち向かうことを知らない人間をつくりあげていくことに通じていくと思うのです。
AちゃんとAちゃんをつつむ学級のこどもたちは、みごとにそのことを解決したのです。そしてさらに大きな問題の解決に立ち向かっているのです。あえて「感情をこめて・・・」というのは、単にAちゃん一人のことでなく、学級集団が連帯して差別とたたかう力を発揮したそのたたかいに、ということもあるのです。

○Aちゃんは、ぼくの担任

四月八日、始業式。学級担任発表です。新担任が教室にくるまでの座席のとり方、このとり方をみおとしてはならぬと心にきめ教室にはいる。この時の座席は、教師の力や指示が何も加わっていない、無拘束の状態で席が取られます。
もし子供たちに拘束があるとしたら、子供たちの間にある非民主性がろこつにでやすいということです。
背が低く、一番みばえのしない女の子、教卓からいちばん遠いところ、ぽつねんと座っている。すぐ何かあるなと思えるようす。これがAちゃんだったのです。
そのAちゃんと、Aちゃんにそのような席をとらせた三五名がぼくの担任なのです。Aちゃんには、いちばん前にきてもらってひろちゃんと座るように席をきめました。

○Aちゃんの座席に理由がある


ひろちゃんは、二年の中ごろから登校拒否(学校ぎらい)をしつづけている。そのひろちゃんと仲よしです。Aちゃんは、ひろちゃんとすわるというのが理由です。ひろちゃんのお母さんも、Aちゃんをもとめるようにしていうし、三年生のときも、そのように座席をとるようにして、学級の皆もそのように考えたのでしょう。それが理由なのです。そしてそれは、おもてむきの皆にしては上手な、Aちゃんにしてはもんもんとした毎日をおくらざるをえない理由のあるところなのに、言葉にもいえない心境が、座席のとり方まできめてしまっているのです。
 Aちゃんは、ひろちゃんを求めて少しの休み時間でも学校を休んでいるひろちゃんの家へかようし、皆から差別されればされるほど、ひろちゃんのところへかよう。
 しかし、ひろちゃんとのちかづきは、ほんものかどうかうたがわしい。やすんでいるひろちゃんのところへにげていっているようでもあるのでした。Aちゃんは、ものわかりがよく親切なのです。漢字のかきとりの成績もよいのです。掃除も一番熱心です。でも掃除のよくできるのも皆のように掃除時間中、遊んでいられないのです。自分の机は誰もよせてくれない。遊んでいてはいっそう皆からはねのけにされると考えているからです。また、今まで何回かそのようにされてきたのです。

○Aちゃんの訴え

 作文を書かせた。
 「四年生になったのだから、四枚以上はかかんといかんよね」
 「先生にいいたいこと、知ってもらいたいこと、そっと先生に聞かせたいこと、何でもいいよ。用紙は机のうえにつんでおくから、自由にとっていいのよ。」
 Aちゃんから、八枚の作文がでてきた。

つらかったこと  四花 A子
 わたしは、二年生のときから、みんなは わたしとあそんでくれたことはありません。
 でも、わたしは、ひろみちゃんみたいに学校を休んだりしないで、がまんしてきています。
 みんなは、わたしの顔をみるとつめたい目でわたしをみます。
 先生、わたしは、みんなにきらわれて、友だちもないし、いやでした。三年生で友だちができると思っていたが、くみかえしても、だれからいうのかしらないが、わたしはがまんをしてきました。
 三年生のときの先生は、木下先生でした。このことを作文にかいて、木下先生がよんでくれました。でも先生は「Aちゃんに友だちができるように、いのっています。」とかいただけだった。
 おかあちゃんいうと「かしこくなれば、A子といっしょに友だちになる。」といっただけ。でも、わたしは「おかあちゃんのいうことをきいても、なれるかなれないか、わからなして」といった。だがしょうがない。
 男の子も女の子もつめたい人だと思った。三年生だったころは、TさんやSさんは、わたしのことを二千年のおばあちゃんと、わたしのことを言う。
 でも、いわれてもがまんしてなにも言わない。もう、わたしのことを二千年のおばあちゃんと言わないようになった。(原始人のようにそまつできたないということの表現でしょうか。きっとそうでしょう。)
 わたしは、あそぶ子がいない。大きゅうけいになっても一人でぼさっとたったままでいる。一人でかなぼう、ブランコをやったりしている。それがいちばんうれしいことだった。でも一人ではなにもおもしろくない。
 ひろこちゃんとこへときどきあそびに行くが、三年生のときは、ひろこちゃんは、かくれてしまうことがあった。
 四年生になった。わたしはこのことは言わないでおこうと思った。でも、どうとくで、うれしかったこと、つらかったことを書きなさいといった。だから書いた。
 わたしはTさんにいじめられたこと、みんなにきらわれともだちいないこと、みんなみたいにはやくともだちほしいこと、でも ともだちになってくれる子はいるかな、ということをかいた。友だちがいなかったら、六年生のとき、しゅうがく旅行でねる子もいないとこまる。
 わたしは、四年生にも、ひろちゃんとすわった。三年生のとき、ながいことすわった。
 おかあさんに言うと、A子はかわいそうに、おにいちゃんはともだちがいるのに、いくこはともだちがいないってへんやねといっていた。おにいちゃんが、うらやましくてなりません。
 あさ、学校へ行くと、みんなは、わたしのことを、くさいくさい、といいます。げこくといってわたしを見ます。だけど、まけていられません。ようし、まけへんど、と思います。
 おかあちゃんは「べんきょうできたらいいんや」といいます。そうだ、べんきょうがえらかったら、ともだちも、わたしをきらうことがないと思います。
 このことは、木下先生と中山先生しかしりません。このことは、だれにも言わないでください。いうとまた、わたしをにらむ目でみて、わたしをきらうでしょう。でもまけません。
 先生は心のなかでわたしをみまもると木下先生はいっていました。先生も、そうしておいてください。
      *  *  *  *  *
 はっきり差別されていることを訴え、先生にどうしてくれるかと大きくせまっているのです。
 わたしは、つらいだろうがしんぼうして学校に通い続けているAちゃんをほめ、「どんなにするか、まってください。きっとよくなるように、チエと力をあわせようね。」かいてかえした。
 差別・・・和歌山県の民主教育のキバンともいえる責善教育の歴史ともいえる責善教育の歴史のなかからみちびき出した教訓に今まで、うっすらながらふれていたことのありがたさをしみじみ思い、自信をもって、Aちゃんに朱書きして、かえすことができた。
 事実をもたないといかん。どんな差別をされているのかの事実を、ぼく自身つかまないと、この問題の解決はないと心にきめた。

○差別の事実は教師の目 の前でみつかりにくい
 Aちゃんの訴えを、ぼくの決意のあった日から「いそいでいそがず」の構えで、子どもたちと日々の学習をすすめてきた。
 Aちゃんのような訴えは、ぼくの前ではみつからん。なかなかみつからん。でも、あると訴えているのだから、差別の巧妙性にただただ気をもむ。
 それからまもない日に、「そうじの順番がわかりにくい。」「班長を決めないと、うまいこといかん。」の声がかかり、班長を決めさせるグループ会議をひらかせた。
 ところが、Aちゃんは、その班のグループの外につったっている。入れというも近よるだけで、「入った」というものでもない。
 そのとき、元気ものの明男がグループからとび出し、はしゃごうとした瞬間、Aちゃんにふれた。とたれたところを、はらいおとし、その手を「フイフイ」とけがわらしそうに、ふいている。これこそが事実だ。

○事実は、何物よりも有力
T「明男くん、ちょった」
T「Aちゃんに、どんなことしたの」
A「・・・・・・」
 言えない。
T「したことだから、すぐわかると思う。思い出 して・・・」
 とかえした。しばらくしてから近よってきて
A「先生、ぼくこんなにした」
 と説明してくれた。
T「そうや、先生の見た通りのことを、君は思い 出せたね。なんで、そんなことしたの。そのわ けを言うてみて・・・・」
A「・・・・・・・」
 言えないらしい。
T「うん、これもしばらく考えてみてください。」
 これも、しばらくしてから、
A「先生、みんなしてら・・・」
 これも新しい事実だ。みな、明男と同じことをしていることを、明男が明らかにした。この事実。
T「みんなしてるって、どんなことを・・・・?」
A「くさいといったり、Aちゃんの机、そうじ のときさげたりせんのや。」
 次から次へと差別の事実が明らかになる。明男は、この組の民主化の先だちだとぼくは思った。
ここまで事実が明らかにされれば、もう大丈夫。全体にかけよう。皆のものにしようと決意した。班長が決まり、班長の氏名が確認されてから
「皆きいてくれ」
と切りだして、明男とのやりとりを報告し
「みんなこんなことしてるの。」
と明男のいうてくれたことを、もちだした。
つぎからつぎへ差別の現実を報告してくれた。
「Aちゃんのつかっている水道は、皆つかわない。きたないから」
「Aちゃんの給食当番のときは、ほしいものでもくれといわない。」
「みんなAちゃんをくさいくさいというから、ぼくもくさいという」
「Aちゃんの机さわったら、皆、くさいとかやあいとかいってさわぐ」
「三年生のときから」
「二年生の二学期ごろからや」
 教師が予想したとおりのことが、ひとつの事実を大切にすることによって一そう明らかになった。

○自分は差別されたくな い
 もうAちゃんへの差別は、みなのものとして話し合えるようになり、皆になんとか言われるから差別していたという心のようすが皆して確認しあえたから、何をいってもよい方向になるぞ、みんなから差別されないぞという安心感がみなぎってきたのでしょう。あったことは、みないってくれる。
 「自分は差別されたくないので、Aちゃんを皆して差別ていたのやなあ。」というたら、みんなこくんと頭を前にふってくれた。
 そこで、Aちゃんが、かつてぼくに訴えてくれた作文の話を、はじめて出した。そして、次の話をした。
 「学級全員から、差別しつづけられてきたAちゃんは、心のなかで泣きながら一日も休まず学校へ来ている。つらいと思うよ。でも、それにまけずに学校にきているのはえらいと思う。一人一人Aちゃんのようにされていたら、皆どんなにするの。」
「くさい、くさいというけど、先生もくさいよ。においがあるよ。みなさんのお父さんの、お母さんのくささがあるでしょう。みんな、一人一人においがあるじゃないの。」
「こんあ話をみんなでできるようにしてくれた明男くんもりっぱだった。その明男くんの話を皆のものにできたみんなはすばらしい。」といったら、誰いうもなしに、立ち上がって
「Aちゃん、すみません」
「Aちゃん、ごめん」
と次々に続くのです。
 もう、Aちゃんは、泣いている。
 ぼくも、ものが言えない。四十の坂をこえた大きな男が、ものを言えば涙がでてくる。この心境に立たせたのは、皆して差別とのたたかいをなしとげたからだったのです。
 この心境を、教師だからということででる涙をかくすこともあるまい。こんな涙こそ、子どもと、ひいては大衆とともに流しあえる教師になりたいと思っていた。
        (その一、おわり)
以上、初出・海南海草部落問題研究会機関誌「橋」      第一号
   再録・紀北教育研究会機関誌「紀北教育」      第三七号


Aちゃんのことから      (その二)

○木下先生への手紙
(木下先生は、三年生のときの担任。この三月、家事都合で退職)

 人間としてこんな立派なことをなしとげる力を、きみたちは三年生のときつけてもらったのだ。だって中山先生と一ヵ月もたっていないうちにしたことだから。そんなに育ててくれた三年生の先生にお礼の手紙を書こうと訴えたら、皆よろこんだ。Aちゃんのことにふれていない者は一人としていなかった。また、四月以来子どもたちにつくらせている詩のノートにも、Aちゃんのことをそれぞれ皆して書いていた。真司の手紙をかりる。

木下先生へ  四花  西山真司
 木下先生、元気ですか。
 中山先生は、とてもおもしろいです。すごく力があるので、オルガンをひくとオルガンがかたかたいいます。
 木下先生。ぼくたちは、二年の三学期から、Aちゃんをくさいとかきたないとかいって、Aちゃんだけをなかまはずれにしました。そのことで、中山先生はAちゃんのことをいいました。それで学級委員の人たちが話合いをし、みんな話合いを持ち、Aちゃんにあやまりました。Aちゃんは、うれしくて泣いていました。ぼくは、そのことを詩に書きました。見てください。

Aちゃんのこと
 Aちゃんは、ちょっぴり かわいそうだ
ぼくをふくめてみんなも
Aちゃんの へんなうわさをしていた
そのことで リーダーの人たちが
はなしあい
みんなも話しあい
みんなも話しあい、Aちゃんにあやまった。
Aちゃんは泣いていた。
先生も泣いていた。
ぼくも、ちょっぴり、なみだが出た。

 それで先生は、こうこたえてくれた。
”人をはげましあうことは、きれいなことです。
人と人とまごころをこめて力をあわせることは
うつくしいことです。そのときに、よい詩ができます。そのときに、強くなります。そのときに、力をあわすことの美しさを知ります。美しさのために泣きます。この詩はそうです”とほめてくれた。
 木下先生、おげんきで。
 またおたよりします。さようなら。

 Aちゃんのことが解決したあくる日の朝、学級委員の四人は、時間をくれという。Aちゃんのことを、もっとだしあうのやという。こうなったら、いきおいがついてくる。時間をあげて、子どもたちにまかせた。昨日に比べて、もっといきいきと、むしろ楽しそうにおたがいの自己批判と相互批判が、くり返しまき返しされている。
 その日のぼくの記録は、次のようにしたためている。
”全員が松本さんを差別し、わる口をいい、つまはじきをし、いやなことをしてきたと反省しあって、皆してあやまった。松本さんに、さいごそのことに関する心持ちをいわすがいえない。あやまっても許してくれるのかどうかだ。松本は、感激し涙でゆるした。ものがいえない。そのこころもちを詩のノートに書いたので、それを読むようにすすめた。
中ほどで泣きじゃくってしまう。うれし涙だ。変わって読むが、自分も涙がでた。”

太田さんの詩は、その時のようすを書いている。
「Aちゃんごめん」
先生がAちゃんのことを話した。
今までのわたしは、はずかしい。
先生が教室から出られたあと
Aちゃんにあやまった。
少しなみだがでてきた。
ソンさんもないていた。
みんなAちゃんに
「ごめん」といっていた。
Aちゃんは、いままでのことを
ぜんぶゆるしてくれた。
Aちゃんのかおにも
なみだがでていた。
きっとうれしいのや。うれしいにちがいない。

○一つの詩の中から
・・・あらたなそして大きな差別を発見
詩のノートのなかの一つの詩が心にささる。
佳秀の詩だ。

       野球
O君がおそかった。
こないのかもしれないと思った。
黒組の子が、試合しょうらといった。
みんな「O君きてくれないと、わからん。」
といった。
O君がきた。
O君は「試合せん」といった。

おかしい。O君がしないというたので、野球をしなかったとある。あれだけしたい野球を
O君の一声でやめている。そしてあと詩がきれている。(O君は、四年月組)
子どもたちに、この一つの詩をよみあげて、この詩の中に何かAちゃんの問題とよくにたにおいのすることがらがひそんでいるとさそってみたら、次のようなことが、でてきた。
「そうよ。O君ら、えらそうや。」
「なかすぞ、といわれる。」
「子分をつかって、いやなことしにくる。」
「お金をもってこいと、いわれる。」
「かってなことばかりする。」
「キックボールで守りばかりさせられた。」
「ファウルばかりしってでして、自分ばかりうつ」
Aちゃんを差別していた者が、皆してO君とその子分たちから差別されていたのである。

○差別者が差別されていた

高橋君の詩の中から明らかになったことを次のように記録している。
「この詩は、問題意識をもって書いたものとはいいにくいが、潜在的に彼の意識(生活)の中に、彼がれい従した形でO君を見ていることを知らせてくれた。野球をしようとしたが、Oだけが来ていない。また、Oが試合せんというのでやめている。そのことをどう読み取るかということだ。ここに差別があり、その差別を子どもの意識、被差別として出さなくてはならない。
 皆、わいわいいうた。松本事件を克服した力でこれにあたるように提起しておいた。同時に、Aちゃんを差別していた君たちは、皆、Oに差別されているではないかと、被差別をはっきりさせておく。どのようにするかは、もう子どもたちにまかした。Oの学級は、他の学級のことでもあり、毎日毎日のことでなく、多少日をかけていかないと果たしえないと考えたから。学級がさらにどう団結するかがこの問題のカギだときめた。」

Oぼくら強くなったよう に思う

それから、OとOの子分らと、学級の子どもたちとの間にいろいろな問題がおこっている。ときどきの学級会があるごとに、そのもようが報告されている。
 ある日、事件がおきた。「えらそうにしている」と卓也がいかれた。ところが浩司が、Oをはがいじめにして、それをさまたげた。Oの子分たちはOに加勢しはじめた。
 女の子たちは「四花がんばれ、四花がんばれ」と口をそろえて一生けんめいさけんだらしい。子分たちはひるみ、Oは、青ざめて、にげていったという事件があり、おわりの会に報告された。
さらに、ごく最近の学級会で
「ぼくら、少し強くなってきたように思う。」という声がきかれた。
 よしひで「野球にこいよ。こなんだら泣かすぞ   といわれた。ことわったけど、なかしにこ   なんだ。」
しんじ「釣りにいっていたら、Oもきた。ミミズをなくしてしまった。今までだと、ミミズをくれ、くれななかすぞというにちがいないのにいわなんだ。そしてミミズらありそうもないところでほっていた。」
 ただし「こころにいやなことを、ことわれるようになった」
「ことわれずにいったら、避けえらそうにされる」
「泣かすぞというのは、ことわってみてはじめてうそであることがわかってきた。」
   「Oの自転車にかぎをかけてやった。しかえしや。」
「強くなったような気がする。」
ただし「手だししてもええか。」
ここまで来たとき、ぼくは言った。Oをいわすのが目的でない。君たちを差別したりえらそうにふるまったりせんようになってくれたらよいのだろう。腹が立っても手だしはこちらから絶対するな。今のように皆してつよくなっていけば、手だししなくてもよくなる。きっとよくなると、確信をこめて話した。皆は、うなずいた。
 この子どもたちは、Aちゃんのことを解決してからというものは、みちがえるほど明るく、何事にもいきおいづいてきた。授業中もわからんことはわからんといえてきた。しかし、その間にあっても、小さいいざこざはおこっている。しかし、人を差別しておこるいざこざや問題ではない。そのようないざこざは、二、三日の間に仲なおりしていく。子どもたち同士の力で・・・・・。かえってそのことが、子どもたちをたくましくしているようだ。
もちろん、Aちゃんかて泣きました。しかしもはや以前の泣き方ではない。

○このことは、忘れなかった

Aちゃんが差別され出したのは、考えてみれば日方小学校に基準服がきめられてからのようだ。服が決まったのだからということで、子どもたちの目はかえって同じ規格の服そうにむいたのでしょう。Aちゃんとこは魚屋。朝が早い。服そうなんかかまってもらえないくらいだったのです。がぜん、服そうのととのいがわるいところから、くさい、きたないということになったのだろうと思ったりしている。Aちゃんとこの生活をみないで・・・・。大変なことを学校生活の中でつくりだす要因のあることを思い知らされたかたちです。
ある日、Aちゃんの髪がさかだちしている。一時間おわっての休憩に、廊下でぼくの先を歩くAちゃんに
「Aちゃん、けさ髪を説いてこなんだね。四年だもの、母さんがいそがしいのだから、自分でといておいでよ。」
しずかに、頭をなぜてやった。
「はい。」とこたえてくれた。
それ以後、髪のさかだちを見たことがない。右眼じりからこめかみにかけて、あざがあるAちゃんだが、以前は髪でかくしていた。しかし、あれ以後かくさず、髪を耳の後ろまでとき上げて学校にきている。
子どもたちは、O君からの差別をとりのぞき、さらに大きな差別に気づきそれをとりのぞくために立ち上がるように指向するよう見守っていかねばならない。
Aちゃんは、Aちゃんのかあさんとともに勉強さえしていったら「くさい」「ゲエ」「二千年のおばあちゃん」という被差別がなくなると思っていたことをどう考え、これからどう発展さすかということからはじまっていくたの問題が山積している。
しかし、佳秀は、きょう(六月七日)また、O君について詩をかいてきた。
 この子どもたちのとりくみは、少しづついろいろなところに反映しはじめている。

このごろのことO君
すこしよわくなってきた。
こなえだ
「やきゅうのれんしゅう冬にすることにした」
といった。
O君のいうままにチームがくめなくなったのだ。
O君よわくなってきたんやな。
きょう、N君は
O君をなかすといった。

 N君はO君と同じ組らしい。NはOの子分だったのだ。そのNがOに、口ほどには実際いかずとも、こんなやりとりが子どもたちの間でできはじめた要因に、この組の子どもたちのとりくみがある。
 以前は、Oの話をするとき、教室の窓をしめきろうとした。スパイがくるといってキョロキョロしていたこどもたちにくらべたら、大きな変わりようと見るべきだろう。
 O君のことが議題にされて、窓をあけっぱなしで学級会が開かれているこのごろです。
(おわり)
      初出・「橋」第二号
      再録・「紀北教育」第三七号
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# by kokuminkyouiku | 2015-09-01 12:51